28火 寒いのか暑いのか 雨なのか晴れなのか
めまぐるしく 変わるお天気の中 お山へ。
今回は、切ったかき餅を藁のむしろに広げて乾かす準備。
広げてから一か月近く乾かしていく。
反ったらひっくり返して、ひたすら干す。
到着してすぐに 広げ始める。
こういう藁のむしろは、どうやって作っていたのかなあ。
藁の細縄は、動力を使ってしゅんしゅん作り出す機械の動画を見たことある。
むしろをガッシャガッシャと作る機械の動画も見たことがある。
しかし、それは、縦に糸がかかっているものだった。
簡単な機械って、どこかで保存されてたら再現もしやすい。
庶民の暮らしの知恵や技を記録する 民俗博物館みたいなの ないのかなあ。
今回も、作業の途中のお楽しみは、つまみ食い。
1年前に干して保存してあるかき餅を焼いてもらった。
乾いているものは、焼くのがムツカシイ。
やわらかい方がおいしいと思う。
でも、カリカリに干しておくと、
二年でももつということだ。
近頃は油で揚げたりもするそうで、
芯が残りにくいからということだった。
作業途中の醍醐味の最たるものがおしゃべり。
今回も、農家の母さんは作業はせずに、
棚に、一枚ずつひたすら並べる私のそばで、
かき餅にまつわる思い出話を聞かせてくれた。
今回のかき餅は、一種類を3キロ(前回2キロと書いたのは間違いで)ずつの
もち米で作っていて、六種類だから、18キロのもち米を使っている。
洗って水につけて、丸めて、乾かして、切って棒にして、
しばらく乾かして、押切で薄く切り、しばらく置いて、棚に一枚一枚並べていく。
反ったらひっくり返しながら、一か月ほど置いておく。
ものすごい手間と時間がかかるのだ。
「そら、餅がええで。餅のまま買うてもらえたらなあ。」
「そんでも、物がなかったんやな、こんなんしかすることなかったんやろ。」
おかあはんも、毎年、かき餅干してたわ。
おとうはんが、ごっついきつかったんやし。
割れたりひび入ったりするやろ。
そしたら、お前のせいじゃいうて、おかあはんを責めるんや。
そんなもんなあ、割れるかどうか、一所懸命したかてわからんやん。
割れたら、こんなもん食えるかいうて、庭にほってしまうねん。
私、腹立って、食べれるのにもったいないいうて拾いにいったら、
お前のしつけがなってないから、こないに反抗しよるいうて、おかあはんが怒られる。
姉ちゃんも弟も、あほやな、後からひろたらええのに、いうんやけども、
あんまりひどいと思うて、我慢でけへんかったんやな。
私がここへ嫁ぐ時に、おとうはんが、実さん(亡き夫さん)に、
「お前にやるんやさかい、命もなんでもお前のもんや。
お前がしたいように仕込んだらええ。」
いうたんや。
昔は親せき全部集まっての祝言やろ、そのみんなの前でそんなこと言われて、
ほんまにびっくりしたし、あんまりやと思ったんやけど、
まあ、実さんは優しかったし、聞いてた親せき全部が、
「あんたのお父さんは、あんまりやな、ひどすぎるわ」いうて、
みんな味方してくれたなあ。
そんでも、私も毎年かき餅するようになったら、
生きてる間は、毎年手伝いに来てくれてたし。
胃がんで死んだんやけど、実さんとおんなじように、早かったでなあ。
こんなんいうたらあかんかもしれんけども、おかあはんが、残って、
ちょっとは長生きしたさかい、びくびくせんと、旅にもいって、
逆やのうて良かったかなあとも思ったりする。
かき餅にまつわるご親族の歴史をうかがいながら、
きれいに並べられたと思います。
なんというか、庶民の生きる日々が愛しいなあというような気持ちで、
一枚一枚、めっちゃ集中してました。
だいたい、ざっと数えて、3000枚。
棚に収まるだけが、一冬で作れる量だ。
この棚と、棚の端から端に広がるサイズの藁のむしろは、
ご近所でかき餅を作っていた方が、もうでけへんといって、
農家のお母さんに譲ってくれたものだそうだ。
道具を活かすために足りない作業を補い習いながら、
少しずつ少しずつ、いろんな人の人生に私もつながって、
続いていくのだなーと、胸の奥がキュッとなる時間だった。
紙をかぶせて、今日は、おしまい。