2021年12月04日(土)
大阪市内に野菜市に来ている有機農家さんの軽トラに乗って
一番長いおつきあいの有機農家のお母さんに会いに出かける。
おおきな病が見つかり、検査入院を終えて、手術を控えて
自宅に戻られているタイミング、お顔を見に。
診断が下った秋口、ご自宅に呼ばれて、
蔵の中から子や孫も貰い手がないから、
いるものがあればここから持っていってほしいということと、
二升をつくことができる電動の餅つき機と
「もろぶた」と呼ばれる餅を広げるための
木の長方形の容器を4枚もいただく。
毎年、新年の餅はこのお母さんの作ってくれた生餅で迎えた。
また、数年前から村で最後の「かき餅」の製造を、
「あんたがしいや」と、ご自宅に泊めていただいてご指導うけてきて、
農業の大事なお道具を与えていただいたのだ。
今日の土曜日は、お母さんとゆっくりお話をする前に、
毎冬この時期に、お母さんに連れてもらって、
お山でウラジロをとってくるのだが、
今年はお母さんの息子さんの軽トラで山に入り、
手伝ってもらいながら収穫をした。
「教えた場所は覚えたやろう、
いつでもとりにきたらええからな」
という伝言どおり、場所を覚えながら、
いつもはおしゃべりしながら
山を下りてくるのが楽しくて、
1時間以上の行程なのに、
わずか30分もしないうちに終了する。
ぽつんとさみしい。
村に戻ると、ご近所の皆さんとの会食会話を終えて、
ご自宅に戻ってこられた。
ずいぶんと痩せて、表情も元気がない。
お母さんと仲良しのご近所さんが、
「あんたが来てくれるいうから、顔見に来たで」と、
わざわざ足を運んでくださる。
かき餅作りの修行中に、お母さんと一緒に、
押切でひたすら餅を切り続ける前で、
お茶飲みながらおやつ食べながら、
延々と、かき餅にまつわる思い出話をしてくださったり、
お手伝いに行くたびにおやつを下さったり、
お昼ご飯をご馳走してくださったり、
村のお役で年末の「しめ縄」を60本以上作る
現場に入れて下さり、おもしろがる私を、
本当にかわいがってくださっている。
視線を交わして、
お母さんを挟んで、
お母さんの不安を聞いて、
寄り添って励まして、
ひとまずのご挨拶をしてお別れした。
お母さんのおうちに入って
手術のあれこれやら、
不安なことやら、
ご家族のことやら、
入院に必要な手続きができているか、
資料を確認したり、
あれこれ話しても、
どこか気もそぞろである。
年末に、ご近所の親しいお友だちと、
いただいた餅つき機で餅をついてみることをお伝えすると、
ぱあっと力強い瞳になって、
「そうやそうや、餅をしいや!」と励ましてくださる。
お母さんと畑にいたときに、
嫁いで来られてすでに50年を過ぎて、
長年土を触っているはずなのに、
「眼に入っても痛くないほどの小さい小さい種が、
土におちて、おひさんと水ともろたら、
こんななって、こんななって、
(両手で、葉っぱが生えてくる様をあらわして)
食べられるものができて、
お金にもなってくれるねん。
こんないい仕事はないよなあ」
という、もっとも基本的な感動を
いまだに熱く伝えてくださる方である。
山の放棄された梅をとりに行って、
ナン十キロを担ぎ出す役割を担うので、
そして、もちろん梅を買わせてもらうので、
たいへんな思いをしていたが、
荷物を担いで降りるうしろから、
お母さんが、
「ありがとう、ありがとう」と
つぶやいていらっしゃるので、
「いやいや、大丈夫ですよ」と
返事をしようと振り返ったら、
お母さんは、梅の木に向かって手をあわせていた。
自分の傲慢さ、小ささが恥ずかしかった。
恵みを与えてくれているのは、
自然の命だということを忘れず、
感謝と感動とをもって農にたずさわる姿を
いつも見せてくださるお母さんである。
日も沈むしバスもなくなる。
そろそろ帰ろうかという時、
この方も、訪れるたび、
「ようしてくれて、ありがとうやで」と
いつもお礼とお菓子とくださる方が、
「あんたが来ていると聞いたから、
玉子だけ持って来たで。
来たってくれて、ありがとうなあ。」と
お土産ご持参で足を運んでくださった。
いつも乳母車を押しながらの足元がおぼつかない方が、
わざわざ坂道をよちよち歩きながら来てくださるのだ。
お母さんの感謝の心と感動とを引き継いでいきたい。
お母さんが下さったご縁にいただく、
感謝と感動とを自分の時代に人生に引き継いでいきたい。
まちの長屋に戻り、お道具を見るたびに、
切なく、また、力強く、心がふるえるようなのである。